2013年10月2日水曜日

「違和感」を考える

菅官房長官が、「違和感」という言葉で
ぼんやりと意見することについて
東京新聞の記事を読んだ。


官房長官は伝えるのが仕事である。
正しい日本語で明確な声明を発表してほしい。

「違和感があります」
翻訳の制作チームで互いの訳をチェックしあう場合、
見かける言葉である。

本当は、その言葉だけで、
「ああ、そうか、こういう表現の方がいいな」と
はっと別の案が思い浮かぶべきなのだろう。

でも、当の本人は正しいと思って書いているのだから
何がつながっていないのか
何が足りないのかが見えないことがある。
少なくとも私はそうだ。

翻訳者は制作者側に立っている。
違和感があるのなら、その理由を明確に
そしてコンパクトに言い表せなければならない。
ボールを投げている方向が違うのなら、
そっちじゃない、という言うだけではなく、
ストライクゾーンは、このあたりだと示したいものだ。

私は伝える側にいたい。
修正すべき理由や代案の方向性を言葉にできないのなら
制作者側ではなく、単なる視聴者としての感想に過ぎない。

だから、自分が他人の成果物に意見する場合は、
「違和感があります」とだけのコメントを残すのは避けるようにしている。
「違う」と突き返すだけなら簡単だ。

でも、うまく表現ができず「違和感」で逃げてしまうこともある。
そんな時、制作者になりきれない自分をもどかしく思う。

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