2010年12月30日木曜日

2010年 サヨウナラ

今年は、よい年ではなかった。
特に後半は悲しい日が続いた。

派遣を切られることが分ったので、転職をしたら、
内定を取り消された。
10月末に何とか就いた仕事は、失敗だった。

夫は結局今年仕事をしていない。
おかげで超貧乏生活である。
クリスマスにケーキも買えず、
正月に実家にも帰れない。

おまけに夫は家計のことを心配もせず
平気でカードを切り、飲み会に行き、朝帰りをする。
家計の事で2カ月おきに泣いたわ。
そのたびに、夫は節約する、と言う。
果たされない約束の虚しさ。

2010年は暗闇を迷いながら歩いた気分だ。
一筋の光も見えずに。

来年は、いい年にしたい。

2010年12月12日日曜日

何ができるのか

今の会社はもうすぐ2カ月になる。
3月までのカウントダウンをしながらの後ろ向きな毎日。


体力的にも、精神的にも辛い。
こんな中で、2足のわらじなんて履けるのだろうか。

お金、仕事、子供。

せめてどれか一つでも希望をかなえたいものだ。

自分には、何もなくて、何もできそうにない気分になる。

2010年11月29日月曜日

あるいは、楽天的

なんと表現したらいいのかが分らないが、
臨界点にとどきそうな感じがする。

そのポイントにたどりつけば、大成を意味するような、大きな地点ではないものの、何かしら次の段階にいけそうな。

英文を読んで、日本語を出すときに、
ある種の自由を感じる時がある。
ここから、ここまでの表現の幅があるかな、と。

前は、あまり感じられなかった感覚である。

英文の新聞記事や動画の情報が
頭に入り易くなった気がする。

ある日突然、わかるようになった、
そんな「ある日突然」が近づいているのか。
はたして私にやってくるのだろうか。

まだ何の結果にも繋がっていないが、
続けていれば道が開けるのかなと思う。
そう自分に言い聞かせる。

2010年11月27日土曜日

翌朝10時

夜中にレジュメを送ったら翌朝の10時、
「慎重に検討した結果」の不採用の連絡がきた。
早い。
あまりに早いので、面接か、と思ったわ。

現在の成績は、5戦2敗。1進行中。

今から3月までこのペースで応募すると
25社、か。
また、この位、落ちまくるのかな。

いかん、いかん
今は進行中の案件に集中しよう。

2010年11月23日火曜日

WEBテストの行方

enから、応募した会社からWEBテストを受けるようメールが来た。

文字の並び替え、などをする。

例えば、(み つ な す や)
を見て、「夏休み」と瞬時に組み替えられるか、など。
自分の出来はいかほどなのだろうか。

その後、性格テスト。

プライベートを犠牲にしてまで仕事をしたいとは思わない?
はい、そうです。

人を管理する責任ある立場に立ちたい?
いいえ。

正直に答えて良いのだろうか。。。

・仕事に対するやる気、ゼロ。
・向上心、ゼロ。

などとプロファイルされているだろうか。。。

でも、事務員の募集でさ、プライベート犠牲にして、
管理職になりたいなんて人、向いてないんじゃないかとも思う。

どういった基準で、足を切るのかが知りたい。

面接には進めるのだろうか。

2010年11月19日金曜日

マグロ?

新しい職場は丁度1カ月。
私は、「違う」と確信している。

社内のプロセスが多く、煩雑で、全てがアナログ。

ある日のことである。
私は、社用車をどこどこに、手配してくれと言われたので、
前日、部長に、時間と待ち合わせ場所、車のNo、ドライバーの電話番号の箇条書きで、10cmほどのサイズでメモを渡した。

すると、そんなメモじゃなくて、A4で作れ、という。

はぁそうですか。
仕方なく、「配車について」などと、仰々しいボールドのタイトルをつけて、
同じ内容をワードで作る。

社内の人間が、車を拾うだけなのになぁ、と思う。

外部向けに、数字を取るために時間をかけるなら、わかる。
でも、内部の庶務的なことに、時間をかけて、綺麗に見栄え整えた資料を用意したり、
会社ゴッコみたいだな、と思う。

政治的な所が多いのも慣れない。
私は、はぁ、あなた、そんなに偉いん、だから何なん?と思ってしまい、ついていけない。

当初の話よりも、ずいぶん拘束時間が長く
自分の時間、翻訳の勉強をする時間が取れずにストレスがたまる。
1カ月頑張ってみたが、どうも先が見えない。

2月までに、続けるか辞めるかはっきりさせなくてはいけない。
それまでに他の可能性も探ろう。

転職活動はもうこりごりなどと思ったが、やっぱり私は動いていないとダメな性質なのだろうか。

2010年10月24日日曜日

情景の描写

ゲド戦記の原作と翻訳版を突き合わせながら読んでいる。
原作はル=クヴィン、訳は清水真砂子。

日本語が美しく、とても楽しく読める。
情景描写の言葉選びが
ドラマチックでわくわくする。


p9.
The fog was thinning now under the heat of the sun that shore bare above on the peak in a bright sky.


p16
霧は太陽の光に暖められて、しだいに薄れていった。太陽は、今や、天空高く、峰の頂きの上にさんさんと輝いていた。




the forest, from which he could see the sea, that broad northen ocean where, past Perregal, no islands are.



尾根からは海が見えた。茫漠とひろがる北方の海にはペレガルを最後に、その先どんな島も浮かんではいなかった。


天空、峰の頂き、茫漠と広がる——。
自分から出てくる語彙にはない言葉である。
また、pastの読み方、表現の仕方が、ううむ面白いと思った。

2010年10月17日日曜日

年貢の納め時

お気楽無職生活に終わりがきた。

好きな時に起きる事、午後の昼寝、平日の夜更かし。。。
すべてサヨウナラ!

明日が初出勤である。

がんばろう。

一生懸命、まじめに働こう。

そして、辞められるよう、がんばろう。

つまり、翻訳で身を立てられるように。


2010年10月8日金曜日

綱渡り

昨日は、午後から最終面接だった。
社長と専務の二人。
質問攻めで、1時間半弱かかった。

終始和やかな雰囲気だったので、前向きな気持ちで帰宅した。
夜8時頃、派遣会社から電話があり、内定と聞く。
18日から来てほしい、と。

ほっとした。
嬉しかった。
これでやっと落ち着いて勉強に集中できる。
もう嘘をつかなくて済む。
そして、生活ができる。

休業補償は2か月間だけだ。
10月は、「解雇であり、満額保障すべき」という私の主張が認められたが、
11月は、平均賃金の6割で、法務部が出した数字、一日5000円程度である。
無いよりはましだが、ひと月10万程度では家賃さえ、まともに払えない。

満額保障される10月の間に就職が決まって、安心した。
首の皮1枚で繋がった気分。

学校に行こう。
申込書を送った。

2010年10月4日月曜日

学校どうしよう。。。

仕事を辞めてからすぐ土日だったので、
普段の休日と同じような感覚だった。
 
今朝、月曜になって、午前中に家でゴロゴロしていると
なんて楽な生活なんだと思う。
 
10月からの学校はどうしよう。
まだ迷っている。
前期の内容も勉強になったし、学校そのものに不満はない。
心配なのは、お財布である。
 
夫婦とも無職のまま、さらにローンをかかえるのは辛い。
月に3万円程度だけれど、怖くて申し込みができない。
10月からは夫の大学ローンの返済が始まる。
 
夫は、大学の課題に没頭している。
 

2010年10月2日土曜日

風向き

退職の日。
みんなが温かくて泣けた。
花束とプレゼント。
大きな荷物になった。
幸せな重み。

何だか色んなことが上手く運びそう。
そう思えた日だった。

内定取消による休業保障は賃金の6割と言われていた。
私は、これは解雇であり最初の1ヶ月は100%出せと主張し
た。
それが認められた。
ラッキー。言ってみるもんだな。

そして、先日受けた一次面接が通った。
来週が最終面接。

この勢いでがんばろう。

2010年9月29日水曜日

不採用記録更新

エージェント経由で応募した人材紹介の会社は書類選考で不採用となっ
た。
21連敗。

2010年9月27日月曜日

面接を受けた

午前休を取り、採用の一次面接を受けた。
感触は、中の上かな。
消去法でダメと言われるような事は言わなかったと思う。

電車に乗る時間は長くなるけど、場所は気にいったし、うまく運ぶといい
な。

明日は面接

明日は面接だ。
ここの所すっかり転職するぞという気合いが抜けていた気がする。
面接に集中しよう。
今度こそ上手くいくように。
これが最後のチャンスのような気がする。

2010年9月16日木曜日

誰も傷つかない嘘

会社の懇親会兼送別会だった。
内定取り消されました〜、なんてとても言えない。

ひとまず、ボンボン社長の会社の秘書をする設定で、嘘を貫く。
演じるのは疲れるわ。


今日は一社から面接の日程が決まった。
これで上手くいってくれればいいな。

2010年9月15日水曜日

凝りずに応募

昨日、1社レジュメを送る。
今日、別のエージェントから紹介が1件。
夜に書類を揃えよう。

なんか毎日レジュメ書いてる気がする。

ひな型はあるけど、個社ごとに変えるのは時間が取られる。

何度繰り返せばよいのだろう。

6月から、22社目の応募。

2010年9月14日火曜日

派遣の休業保障

休業保障について肝心なことを聞きそびれた。
期間である。

当初の派遣契約期間のみらしい。
という訳で2ヶ月更新の私のケースでは、たった2ヶ月であ
る。

リミットの中で雇用条件をどこまで妥協するべきか。
紹介予定派遣のみに絞る期限は、
失業保険の受給が開始されてからにしよう。
それ以降は、派遣でいいや。

よし、ひとまず年内は妥協せず行こう。

2010年9月13日月曜日

内定取り消し

先週、紹介予定派遣で採用と連絡をもらい、
現職でも退職手続きを踏んでいたところ
本日、内定取り消しにされた。

ああ、なんてついていないんだ。
本当に受けなければ良かったと思った。

「本社の方針」。「グループの方針」。
そうやって、法人を盾にして、個人を隠す。
本社やグループの方針は誰が決めているのは
個人である。

現職では、辞めることを皆に伝え、
お別れ会も企画してくださっている。
もう引き返せない。
内定取り消されたなんて、とても恥ずかしくて言えない。
しばらくウソを通すのは本当につらい。

派遣会社の責任者からは、詫びの電話がはいった。
彼が悪いのではない。
だから、彼にあたっても仕方がないんだな。
詫びを一通り聞いたところで、今後の話をした。

私に重要なのは、「金」である。生生しい話ね。

10月1日までに仕事が決まらなければ、
損害賠償請求をするつもりであると言った。

すると、休業補償の規定があり、6割は保証されるという。
請求額は6割程度かと検討をつけていたので、手間が省けた。

2010年9月11日土曜日

からっぽ

金曜の夕方、内定取り消しの可能性があることを知らされた。
週末の前にそんなこと聞きたくなかったな。

派遣会社によると
社長が勝手に募集をかけたが、
会長やそのほか総務部が待ったをかけた形、らしい。

会社は調整してから募集をかけ、
派遣会社はそれを確認してから人を集めるべきでありましょう。

これで月曜に、内定OKです、って言われても
何だか気持ちよくスタートを切れない気分だな。
会社への不信感が募る。

本を開いても、目が字を追うだけで、
頭に入ってこない。
時間がやっとできたのに、
何にもする気になれないわ。
からっぽの休日。

2010年9月10日金曜日

内定取り消し?!

徐々に会社の人に辞めることを伝えている。
みな、びっくりするので、その反応が楽しい。
温かい人ばかりで、離れるのはサミシイなぁ、と思っていた金曜の午後である。
派遣会社からTEL。
「内定がペンディング」だという。
えええ!
カタカナで言えば、オブラートに包んだと思っているのでしょうか。
それって、内定取り消すかもってことですよね。
もう辞める手続きしてしまっているんですけれど。
本社は東京都にない会社で、
支社での採用に待ったがかかった模様。
元々、本社から依頼があったと派遣会社は言っていたはずだ。
何を今さら調整するのだろうか。
どうやら会長(?)の息がかかっているらしい。
ああ、どうしよう。
今日は、会社のみんながお別れ会をしてくれるらしく日程調整をしていたのに!
そして、夫は無職!
貯金ゼロ!
来月の家賃どうしよう!!
こりゃ、翻訳学校どころではない。
結果は月曜だとか。
今週末は、気が気でない。

2010年9月7日火曜日

面接、その後

面接の後、何だかなぁと思った。

でも、家について、思い返してみた。

愛想がよく紳士的な対応している人が
本当にイイヒトかどうかは分からない。

今の会社で散々身にしみたことだ。
そういうギャップを持つ人の面倒臭さと言ったらないのだ。

むしろ、よく見せようとしない彼のほうが、付き合いやすいのではない
か。
腹に思ってることをいい意味でそのまま出す人なのかもしれない。

また、過去を振り返ってみると、
第一印象が悪い人に限って、のちに仲良くなっている。

あの面接が「底」ならやっていけるかも。

もしかしたら、いいかもしれない、この話。

そんな気持ちで迎えた月曜日、採用したいと連絡がきた。

私は受けることにした。

2010年9月4日土曜日

面接

金曜、とある会社の面接を受けた。
そこは、政府の要人の親戚が経営している。

面接は、その"親戚"であった。
30代半ばの男性。

そりゃ、会社のトップだから、偉いよ。
でも、何でそんなに偉そうなん?と思った。
ま・歴史の教科書に出てくるような人物と血がつながってて、
20代で大きな組織で、役員やっているとそうなるのかな。

しかし、初めて会う人に、丁寧語さえ使えない人はいやだなと思った。

私は、面接に来た「ソト」の人間で、
まだ、部下ではない。
その気持ちが顔に出ていなかったことを願いたい。

やはり、人としての尊敬できない上司の秘書はつらいよな。
まだ、派遣会社から回答はないが、
断ろうと思う。

ああ、転職ってなんて難しいんだろう。
内容と場所と金とヒト。

金も場所も、我慢はできる。
「ヒト」を我慢するのはつらい。

たった数10分の面接で決断を下す。
転職は、ある意味ギャンブルだな。

2010年9月3日金曜日

面接

レジュメを送ったら翌日に面接になった。


落ち着いて翻訳の勉強がしたい。

2010年9月2日木曜日

応募した

代々、同族でやっている非公開企業に応募した。
紹介予定派遣で契約社員になる。

割りと大きい会社だけど、
不透明な印象かな。

2010年8月31日火曜日

厄年

追加で2社に応募し、不採用。

特許事務所の秘書。理由は不明。

クレジットカード会社の秘書。
即日じゃないとダメと言われた。
最初からそう募集すればよかろう。

17連敗、回答待ち2社。

今年は厄年だった。
最近気がついた。

2010年8月27日金曜日

欠席にマル

先日、部長に契約は長くて来年の3月まで、と言われた。
人事からそう聞いている、と。

派遣会社から言われたわけではないので、正式な契約解除ではないものの、
いよいよ覚悟が必要なようだ。

ポリシーと言うからには、全員切るんだろうか。
これって、私だけなのかな。
直接雇用を打診したから?
出る杭は打たれるってことかな。

法人のポリシーの都合で、すいません、と彼は言った。
まったく心に響かない言葉だった。

期待を持たせて1年無駄に待たされたことが悔しい。
彼の言葉はもう信用できない。

そんな中、最近、部門に人が増えつつあり、
懇親会をやると誰かが言いだしメールが来た。
「欠席」と回答した。

今さら自腹で会費払って、「懇親」なんてね。
クビになるのにね。
どんな顔して出席すりゃいいのかね。

2010年8月25日水曜日

「不良在庫」になりたくない

大手の派遣会社って基本的に対応が雑だなと思う。
「人」として認識してない感じ。
経歴と資格のデータを品番化した「パーツの在庫」みたい。

先日、アージスという派遣会社に登録した。
登録は実にアナログで時間がかかるが、
コーディネータの対応が良く、落ち着いた方で信頼できる。
関連会社の人材紹介にも並行して登録してくださり
同じく、対応が良い。

中堅の派遣会社がいいな。
何万件持っていたって関係ない。
私はたった1社と契約に至ればいいんだ。

1件書類選考待ち。
うまくいきますように。

2010年5月17日月曜日

ER:"bad parents"って何だろう

今は学校の提出課題が落ち着いているので、
ERのDVDで字幕を観察している。
2パターンとらえ方があると思われる箇所があ る。
共働きの夫婦がもめるシーン。
ベビーシッターのいない週末、
二人とも勤務シフトが入っている。
早番、遅番で交代するところが、
早番の夫、マークの残業で
妻エリザベスが遅番に遅刻。
赤ちゃんを抱えて、処置室に怒鳴りこんでくる シーン。

1 エリザベス:
This is exactly why we need a weekend nanny. 
(週末もお手伝いさんを
2 マーク:
A weekday nanny's bad enough
(い い人がいない
3 エリザベス:
It doesn't make us bad parents.
(親 の怠慢だわ
4 マーク:
I just want to raise our children.
(がんばろう
3 がよくわからない。
「it」 が、何を指しているだろうか。
それによって、bad parentsのbadの意味が変わってくる。

私は、itが週末のベビーシッターを頼むことを指しているかと思った。
週末にもベビーシッターを頼んだからと言って、
悪い親にはならない、の意で。
「頼んだって、いいじゃないのよ」という気持ち。
bad は、自分の子供を人に預けること。

一方、itが直前の「平日のベビーシッターが よくない」というセリフを指しているとすると、字幕のようになるのだろう。
badは、仕事と子育てを両立できない親か。
「『平日にいい人がいない』こと が、
仕事 と子育てをバランスを壊す原因になるなんて、おかしい」
を4文字で表すと「親の怠慢」か。
深いな。
小さなことで、意味がガラっと変わる。

2010年5月12日水曜日

クビだなぁ

去年、私は、とある翻訳会社を受けた。
面接で、社長がこの前クビにした人の話をした。

なぜ首になったのかと、理由を聞くと、
誤訳が多いからだ、と答えた。

表現の問題なら、なんとなるけれど、
誤訳は致命的だから、クビなのだという。

私は、毎回課題で誤訳をしてしまう。
そのたびに、クビの話を思い出す。

2010年4月25日日曜日

先が見えない

学校は次回で4回目。
着々と過ぎていく。

課題でわからなくて立ち止まっていると、
余計なこと考えてしまう。

この先、どうなるんだろう、とか。
こんなのもわからないのにって。

常に課題に追われている。
復習をしたいけれど、なかなか追いつかない。
それ以外にも、読みたい本がある。

今はプライベートを返上して勉強しよう。

2010年2月22日月曜日

教育ローン

教育ローンがおりた。
ああ、よかった。
国がダメなら、消費者金融しかないと思っていた。

申請金額は、少し多めに書いておいた。満額は認められなかったが、雑費が認められたので、少し私の学校に回そう。

次は、夫の就職だな。
先日2社応募した。
1社からは、時間の縛りについて質問がきた。
もう1社は、音沙汰がない。

いつまで、この生活の「崖っぷち」が続くのかな。
いつも綱渡りだわ。

教育ローンを申し込む

夫の大学の学費が払えない。
前期分は、夫の両親が出してくれたんだった。

しかし、今は、生活だけでギリギリだわ。
失業給付も終わってしまった。


今期は、日本政策金融公庫にローンを申し込んだ。
書類を送って、随分何の連絡もないなぁ、と思っていたら
電話があり窓口にいくことになった。

給与の支払われている通帳のコピーをとられ、
免許書のコピーをとられる。
実家はどこか?
いつ引っ越してきたか?など聞かれる。

私は、勤続年数1.5年の派遣社員。
賃貸マンションの居住期間は約1年。
夫は、失業中。

大丈夫か?

審査結果は後日、らしい。
借りれるかな。

2010年2月2日火曜日

口論の末

週末。
私が学校に通うことについて
夫は否定的なことばかり言う。
全ての原因は、お金がないことだ。

私は、毎日元気もなく、
夫と話す気にもなれなかった。
会社の人間関係に疲れ、さらにストレスが溜まっていた。

夫は、何で元気がないのか、と言う。
私が翻訳を勉強したいのに、理解がない、
応援してない、それがショックだった、と言った。

お金がないから、去年の秋にいけなくて、
それから半年待ったんだよ?
また、私だけ、半年待たなくちゃいけないの?

払えるかどうかなんて、私だって分からない。
一番金を使ってるのは、自分でしょう?
大体、お金がない、って言ってるのに、
ipodが欲しいとか、温泉行こうとか、
勝手なことばかり言うし、私は“独り”だ。

払えるん?とか、言う前に、浪費しないようにしてよ!
月にいくら使ってると思ってるの?
少しは協力しようとしくれたって、いいでしょ!
私は、すごくショックだった、と言った。

夫は、応援してないわけない、と言う。
ただ、金は大丈夫なんか、と思っただけだ、と。
私は、自分のことを言わない。
ただ、行きたい、としか。だから分からない。
行きたいなら行きなよ、節約がんばる、と言う。

翌日、私は申込書をFAXした。
がんばろう、と思った。

2010年2月1日月曜日

半年の空白

私は翻訳の学校に行きたかった。
でも、お金がない。
だから、09年の秋からのコースはあきらめ、半年待っていた。

夫の会社は、解散し、9月から無職になった。
失業保険で、なんとかつないでいる。

夫は夜間の大学に入っており
半期に1度の学費も結局、親に援助してもらっている。

失業保険も2月にもらったら、最後だ。
彼は、就職活動は、試験が終わるまで待ってくれ、という。
試験は終わった。
でも、この不景気にそうそうタイミングよく仕事はない。

私は、先日学校の体験授業に行き、
今期こそ通いたいと思った。

その夜、4月から行こうと思うと話した。
「いくらなん?」「払えるん?」「今、行かないかんのん?」
夫の口からでるのは、そんなことばかりだった。

「(私の給料だけで)やってけるん?」と夫。
「無理に決まってんじゃん。は?働かんつもり?」
「働くよ!でも、すぐ決まるとは限らんじゃん」

少し口論になったが、あれこれ言う元気もなくなった。
申込書。
あとはFAXするだけだったが、その日は送らなかった。