

『フェルマーの最終定理』
サイモン・シン著 青木薫訳
私は高校数学でつまづいた。数学の素養はない。
この本を読み終わったあとも
モジュラー形式がどんな世界なのかも想像できない。
楕円方程式なんて、初めて聞いた。
それでも本書は面白かった。
1994年、アンドリュー・ワイルズが
約360年間どんな数学者も解けなかった問題を完全に証明した。
17世紀の数学者ピエール・ド・フェルマーによる命題だ。
フェルマーの最終定理と呼ばれている。
この問題は、ピタゴラスの定理に由来している。
本書は命題が生まれる前のピタゴラスの時代から1994年までを描く。
有名な数学者たちが、この問題に挑んでは失敗してきた。
ついには賞金がかけられる騒ぎにまで発展。
命題をめぐるドラマに心動かされるノンフィクション。
ワイルズが取り組んだ8年間の物語、とりわけ最後の1年間の話は感動的だった。
翻訳には、唯一の答えはない。
正解はあるが、正解の範囲があるだけ。
範囲の中で最善を尽くして、もっとよい表現はないかと模索するのが苦しくも楽しい。
正解の幅とその可能性が翻訳の面白いところだろう。
一方、数学は曖昧さを一切排除した完璧な世界。
空気も、摩擦も、抵抗も存在せず、普遍的。
数字が古びることはない。「証明」は絶対的だ。
答えをバシッと決めれば、
唯一の答えが永遠に真であり続ける数学の世界に憧れを感じた。
デカルトの言葉が出てくる。
超越的な問題を論じるときは、超越的に明瞭であれ
著者はまさにそれを実践している。
複雑な説明を柔らかい言葉で言い換えて
「難しくなりそう」という読者の不安を消し去ってくれる。
例えば、証明の鍵となる「帰納法」について、彼は「ドミノ倒し」と表現している。
nが真で、n+1も真ならば、すべての自然数において無限に真、ということをドミノにたとえたのだ。
最初のドミノ牌を倒し、次のドミノ牌も倒すことができれば、どこまでも牌を倒すことができると説明する。
この本もしかり。第一章で心を掴まれて、次のページもまたその次もと、一気に読みたくなる本だった。