2013年10月18日金曜日

一兎づつ

8月に映画の字幕制作の打診があった。
当時まだ日本では未公開の映画で、
飛行機の機内上映用のものだった。

やりたくて仕方がない案件だったが
後ろ髪ひかれる思いで断った。

難民映画祭の字幕制作(ボランティア)の真っ只中だったのだ。
これを落とすわけにはいかない。
それに、作業期間は盆休みだったので、夫の実家に帰省している。
映画祭をこなすのが精一杯。
短納期の案件を集中的にできる環境ではなかった。

新人は、たまのチャンスを逃すべきではない。
折角、仕事を振ってくれたのだ。

しかし、掛け持ちだろうが、何だろうが
勢いで仕事を受けて、先方に迷惑をかけたら
「次」はない。
二兎を追う者は一兎をも得ず――。

そんな思いが頭の中をぐるぐる回った。


また、仕事が巡ってくるとしたら数か月後かな。
予想どおり何もなく10月になった。

このまま年末まで暇なんだろうか。
あの時、断ったの、やっぱりまずかったかなと思っていた矢先のこと。

再び機内上映用の映画字幕制作の依頼が来た。
今度こそは「やります!」と引き受けた。
二度目の仕事だった。

2013年10月2日水曜日

「違和感」を考える

菅官房長官が、「違和感」という言葉で
ぼんやりと意見することについて
東京新聞の記事を読んだ。


官房長官は伝えるのが仕事である。
正しい日本語で明確な声明を発表してほしい。

「違和感があります」
翻訳の制作チームで互いの訳をチェックしあう場合、
見かける言葉である。

本当は、その言葉だけで、
「ああ、そうか、こういう表現の方がいいな」と
はっと別の案が思い浮かぶべきなのだろう。

でも、当の本人は正しいと思って書いているのだから
何がつながっていないのか
何が足りないのかが見えないことがある。
少なくとも私はそうだ。

翻訳者は制作者側に立っている。
違和感があるのなら、その理由を明確に
そしてコンパクトに言い表せなければならない。
ボールを投げている方向が違うのなら、
そっちじゃない、という言うだけではなく、
ストライクゾーンは、このあたりだと示したいものだ。

私は伝える側にいたい。
修正すべき理由や代案の方向性を言葉にできないのなら
制作者側ではなく、単なる視聴者としての感想に過ぎない。

だから、自分が他人の成果物に意見する場合は、
「違和感があります」とだけのコメントを残すのは避けるようにしている。
「違う」と突き返すだけなら簡単だ。

でも、うまく表現ができず「違和感」で逃げてしまうこともある。
そんな時、制作者になりきれない自分をもどかしく思う。

2013年9月12日木曜日

漫画「アンカル」



SF長編漫画『アンカル』が面白い。
原作は映画監督 アレハンドロ・ホドロフスキー。
画を担当したのは、メビウスのペンネームで知られる、フランスの漫画家ジャン・ジロー。

本国では1981年に第1巻が発売された。
日本語版は遅れること5年、1986年に講談社が1巻を出版。

原作は1988年に第5巻で完結したのだが、
何があったのか、2巻以降が翻訳されることはなく、物語は未訳のまま時が過ぎた。

2010年、ついに小学館から日本語の完訳版が出版された。
やっと日本の読者に届いた物語は、30年前に書かれた「未来」の話。
2013年に読んでも、古くささは感じられず
時の洗礼にも耐えうる面白さがある。

何より画が素晴らしい。
メビウスの画は、飛んでいる、あるいは
ふわっと浮いている画が気持ちいい。

メビウスのウェブサイト
http://www.moebius.fr/

2013年9月11日水曜日

ゆるゆるの日々

8月末に映画祭の字幕制作が終わった。
その後、オーディションに1本応募して落選してからは
気楽に過ごしている。

美術館に行ったり、漫画やエッセイを読んだり
ドラマや映画を見たり。

翻訳で追われていた8月半ばには
こんな享楽的な過ごし方を待ち望んでいたはずなのに
それだけの日々には、もう飽きてきたわ。

翻訳の仕事来たらいいなあ。
次にお声がかかるのは、どれくらい先になるのだろうか。

それまではドラマのスクリプトでも読んで字幕を観察をしていよう。

2013年9月3日火曜日

血まみれの原稿


映画祭の字幕制作では、翻訳者同士で訳文を交換しレビューし合った。
それを、担当ディレクターがチェックし、
映画祭事務局が表現の最終判断をする。

それぞれの関門で
ぐさぐさと刺さるように指摘されて、
私の原稿は、もう血まみれであった。

意図が掴めない旨のコメントには反省した。

誰にも何も言わせない字幕を
書けるようになりたい。