2015年3月24日火曜日

渡れるかな

翻訳者になるにはどうすればいいか。

「主婦になるのが一番いいよ」
ずっと昔、とある先生に言われた。

主婦は経済的に自由で、時間がたくさんとれる。
だから強いよね、と彼は言う。

雑誌やセミナーでも、こんなことを言ったら、
今ならフェミニストに怒られるかな。
でも、これも1つの真実だと思う。

主婦は金と時間の問題をクリアできる。
無職で生活できる金銭的余裕があるのは強い。
また、家事などあるにせよ、会社ほど強制力をもって一定の時間を拘束されるわけではない。
会社勤めをしていると、残業がなくたって8時間は会社にいるし、
通勤時間が1時間と仮定すると、少なくとも10時間は拘束される。


翻訳者として食べていけない間
いかに暮らしていくのかをずっと悩んでいる。

翻訳の仕事がしたい。
でも生活ができない。
定収入が欲しいので会社に勤める。
だから平日の夜と土日しかあけることができない。
そもそも新人に回ってくる仕事は少ないのに、
スケジュールが合わないといって字幕の仕事を断り、
あるいは手を挙げず、経験が積めない。
翻訳がしたいのに、なぜ折角の仕事を断り、会社で働いてるんだろうか。
でも今すぐ会社を辞められるか?
仕事のあてがあるわけでもない。
考え出すと、永遠のループである。

結局家賃が払えないから会社勤めを続ける、という結論に至り
一旦ループが止まる。
でも、気持ちは翻訳がしたいから、またぐるぐると回り始める。

私は会社を辞めることにした。
念願の主婦になる。

しかし経済的な面をクリアして出した答えではない。
ただ単に、綱渡りをする覚悟ができただけである。

綱と言っても、丈夫で太くはない。
クモの糸のように細く、そしてもろい。

2015年3月21日土曜日

会社を辞める

年明けに、退職を申し出ようかと思ったが、言葉をのんだ。

1月下旬、ぐっと抑えた気持ちが溢れ出し
のみ込んだはずの言葉がゲロっと出てきてしまった。

「もう、会社を辞めよう」と思った。


2月から毎週日曜に放送するスポーツ番組の字幕チームに入ることになった。
今年1年は定期的に仕事が来ることになる。

会社勤めさえなければ、もっと長い尺で受けられたのに、と
これまで何度か悔しい思いをした。
でも、明日の米と来月の家賃のため
そう簡単に会社を辞める勇気は持てなかった。

スポーツ番組の仕事は尺が短いので
毎週来たとしても家賃さえ払えない。
退職を躊躇したのは、経済的理由からだ。

しかし土日以外で稼働できる日を増やさなければ
ずっと同じ仕事量の中から抜け出せない。

時間をあけたって、仕事が増える保証はないけれど
勢いだけで1歩踏み出すことにした。

6月からフリーランスになる。

2014年10月12日日曜日

あれ、何て言うの?

ハリケーン後の復興についての番組を担当した。
納品をした日の朝、東京に台風が上陸し、
昼頃には過ぎ去っていた。

会社帰り、駅から自宅までを歩く。
雨で空気が洗われたのか、すっきりとした色の夜空だった。
見上げると、月が出ている。満月でもないのに、妙に明るい。
周りには、ほわっと輪がかかっている。

あれ、どこかで見たな、と思った。
翻訳のために、台風や気象に関する本をいくつか手元に揃えていた。
家について、パラパラと本をめくる。

その本によれば「ハロ」というらしい。太陽に出ることもある。
月光が、大気上層の巻層雲などを通過するとき
雲に含まれる六角柱状の氷に屈折して出現するのだそうだ。

ウィキペディアでは「暈(かさ)」という見出し語で出ている。
こんな漢字、字幕ではそのまま使えない。

朝日新聞では、どうだろう。
太陽の場合、「日暈(ひがさ)現象」とルビ表記。
http://www.asahi.com/area/tokyo/articles/TKY201308170333.html

気象庁は、「暈(うん、かさ、ハロー)」と3つ書いてある。
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/faq/faq13.html

いろいろ呼び方があるらしい。


映像翻訳が楽しいのはこんな時だ。
知らなかったことを知る。
あるいは、知らないことにさえ自分が気づいていなかったことを
思い知らされる。

普段は気にも留めなかったことや興味が全く湧かないことでも
無理やり調べていくと、ほほう!と思うことがある。
翻訳をきっかけに、出会う本も多い。

だから何?ということや、ものの名前は知らなくても生きていける。
すぐに何かの役に立つわけではない。
でも、きっと人生を豊かにすると私は信じている。

月の暈、かあ。
もう一度見たくて、夕食後、外に出た。
空一面に薄い雲が広がっている。
暈はもう消えてしまっていた。

2014年8月24日日曜日

6月のニューヨーク



ロビン・ウィリアムズが出演している映画で一番好きなものは、「フィッシャーキング」である。
監督は「12モンキーズ」や「未来世紀ブラジル」のテリー・ギリアム。

誰かを救おうと働きかけることで、自分自身も救われる。
人と人のつながりを通じ、救いの連鎖が幸せを呼ぶ。
嘘みたいに幸せがどっと押し寄せて、気持ちがよくなる映画。

グランドセントラル駅で、くるくると踊るようなシーンが素敵だった。

「6月のニューヨークは好きかい?」
このフレーズが繰り返し出てくる。

6月のニューヨーク。行ってみたいな。

2014年8月22日金曜日

「フェルマーの最終定理」


『フェルマーの最終定理』
サイモン・シン著 青木薫訳

私は高校数学でつまづいた。数学の素養はない。
この本を読み終わったあとも
モジュラー形式がどんな世界なのかも想像できない。
楕円方程式なんて、初めて聞いた。
それでも本書は面白かった。

1994年、アンドリュー・ワイルズが
約360年間どんな数学者も解けなかった問題を完全に証明した。


17世紀の数学者ピエール・ド・フェルマーによる命題だ。
フェルマーの最終定理と呼ばれている。

この問題は、ピタゴラスの定理に由来している。
本書は命題が生まれる前のピタゴラスの時代から1994年までを描く。

有名な数学者たちが、この問題に挑んでは失敗してきた。
ついには賞金がかけられる騒ぎにまで発展。
命題をめぐるドラマに心動かされるノンフィクション。
ワイルズが取り組んだ8年間の物語、とりわけ最後の1年間の話は感動的だった。

翻訳には、唯一の答えはない。
正解はあるが、正解の範囲があるだけ。
範囲の中で最善を尽くして、もっとよい表現はないかと模索するのが苦しくも楽しい。
正解の幅とその可能性が翻訳の面白いところだろう。

一方、数学は曖昧さを一切排除した完璧な世界。
空気も、摩擦も、抵抗も存在せず、普遍的。
数字が古びることはない。「証明」は絶対的だ。
答えをバシッと決めれば、
唯一の答えが永遠に真であり続ける数学の世界に憧れを感じた。

デカルトの言葉が出てくる。
超越的な問題を論じるときは、超越的に明瞭であれ
著者はまさにそれを実践している。
複雑な説明を柔らかい言葉で言い換えて
「難しくなりそう」という読者の不安を消し去ってくれる。

例えば、証明の鍵となる「帰納法」について、彼は「ドミノ倒し」と表現している。
nが真で、n+1も真ならば、すべての自然数において無限に真、ということをドミノにたとえたのだ。

最初のドミノ牌を倒し、次のドミノ牌も倒すことができれば、どこまでも牌を倒すことができると説明する。

この本もしかり。第一章で心を掴まれて、次のページもまたその次もと、一気に読みたくなる本だった。