2012年7月13日金曜日

撃ち方始め

学校のコースを修了してしまうと、
あとは年数回のトライアルだけが学校とのつながり。

目指しておいて、アレなんですが、まぁ、別に「映像翻訳者」でなくてもよいと思っている。
映像翻訳って、ジャンルというよりも、アウトプットの仕方の区分のひとつである。
文字数だの尺あわせだのルールは特殊だけれど、面白いと思えるかどうかは、
そこで何を伝えようとしているのかである。
私は、物語なりメッセージなりを伝える役目であれば、
映像にのるものや、紙に印刷されるもの、
あるいは、ディスプレイに映し出されるもの、
何でも機会があれば翻訳をしたいと思う。

そんな訳で、映像のトライアルの合間に、
出版のオーディションにもスケジュールがあえば応募している。
先日、一次選抜に残った10名ほどの名前に私が含まれていてびっくりした。

淡い期待を寄せていたが、世の中そんなに甘くなかった。
こういうトライアルの場合、「惜しい」は、ただの気休めである。
合格以外は不合格。訳者になれないなら、そこに違いはない。

訳例と解説、原文を読みながら、自分の原稿とつき合わせていると、
「こんな解釈や言葉選びはよくない」の落とし穴に
ずぶずぶ足を突っ込んでいた。私の場合は、全然惜しくもなかった。

下手な鉄砲でも数撃てば…というわけにはいかない。
下手なら絶対に当たらないものだ。

でも、撃たないと上手くならない。
今後も応募し続けよう。

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